前日:天明5年1月3日/平成31年2月11日


天明5年1月4日(新暦換算:2月12日)

秋田県湯沢市柳田 → 湯沢の町中




【湯澤の驛】

 四日。湯澤の驛(うまや)に出かけた。山田何某という人の家に東海林《東海林をしょうじと読む》何某という人がいて、杯をとり、さかんに私にすすめ、断り難くいると、「さげっこのまねごったば、この湯澤のごどどご、こんたのみがだの様子もへで、はぇぐうだっこによめ。よまねば、もっと盛ってのまへるど」(※)と言われるがまま、

たのしさよ 千代もかはらす くみかはす 湯澤の里の 春の盞


※酒を飲まないのなら、この湯澤ということを、このような宴の様子を込めて、すぐ歌に詠みなさい。さもないと、もっと盛って飲ませますよ



 現在、湯沢市役所近くの力水公園には真澄のこの歌を刻んだ歌碑が建てられている。

 もっとも、今日行ったらこの有様だったが。平成30年~31年にかけての冬は例年より雪が少ないが、やはりそれなりに降るものは降る。



 雪が融ければこの通り。



 力水周辺もこの有様。それでも水を汲みに来た人と出会ったのは、さすが地域に根差した名水というべきか。






 今日真澄が詠んだ歌は、歌だけを見れば「なんともにぎやかで楽しげな歌だなあ」となるところだが、実際は「今で言うところのアルコールハラスメントを受けて詠まされた」歌である。そんな歌を石碑に刻んで未来永劫残そうと考えるこの……センス! そもそも歌の由来を知らなかったという可能性もあるけどね。

 なお、湯沢の住人の酒に関する押しの強さは真澄が訪れてから234年経った今でもたいして変わっていない模様。


 ここで真澄が訪れた「湯澤」とは、驛――駅/宿泊所の存在を考えれば、こんにちの湯沢市の中心部、つまり湯沢市役所周辺の一帯を指すと考えていいだろう。



 湯沢の中心部には神漫画『神様セカンドライフ』にも登場している「お沢稲荷」「泉光院稲荷」が鎮座するお城山/湯沢城址もあり、当時から見どころは色々とあったと思うのだが、日記は歌を詠んだところで終わっている。


 天明5年1月4日、真澄は湯澤から柳田の草彅家に帰ったのか、それとも湯澤のどこかで宿を借りたのかは記述がなく、判然としない。



 話は変わるが、菅江真澄行脚でも神様セカンドライフの元ネタ巡礼でも、この辺を訪ねたのなら「長寿軒」に寄ることをおすすめする。

 ここも立派な名所である。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



※この記事の写真は平成31年2月12日に撮影したものです



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翌日:天明5年1月5日/平成31年2月13日



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