前日:天明5年1月10日/平成31年2月18日


天明5年1月11日(新暦換算:2月19日)

秋田県湯沢市岩崎




【牒祝ひ】【庫ひらき】

 今日は、日記帳の祝いということを終えて、倉稲魂の神前に、神酒や供え物を奉って、もてなしをした。いざ、米倉を開こうといって、雪に埋もれて暗い倉なので、灯りを手ごとに持って入った。


 倉稲魂は穀物の神。年初に米倉を開ける時は、倉稲魂に参拝する風習だったようだ。

 この日、真澄は前日から岩崎の石川平兵衛の家に泊っているはずである。造り酒屋にして肝煎りだった平兵衛の家には、さぞ立派な米倉があったに違いない。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明5年1月12日/平成31年2月20日



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『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
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