前日:天明5年2月8日/平成31年3月18日


天明5年2月9日(新暦換算:3月19日)

秋田県湯沢市 湯沢の町中




 九日、久保田の里に住んでいる貞教、宗信という人と語り合った。今日、この二人がその里(久保田)でも必ず会って話しましょうといって出立するのを、しばしとどめて、

わかねやる 柳の糸の 春風に おもひみたるる けさの別路。

たひ衣 たち別ても 二月の 空音な鳴そ はるの鶯。



 はたして真澄は久保田(こんにちの秋田市)でこの二人と再会できたのだろうか。

 それにしても、柳田では草彅家、岩崎では石川家に泊るとして、真澄は湯沢では誰の家に滞在していたのだろう?



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明5年2月10日/平成31年3月20日



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『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
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