前回:天明5年2月10日/平成31年3月20日


天明5年2月15日(新暦換算:3月25日)

秋田県湯沢市 岩崎 → 湯沢の町中




 また三日四日あって湯沢に帰った。十五日。釈迦が隠れた日(仏滅)なので、“御寺”の門も狭くなるほどに人々が詣でている。「花のもとにて春しなん」と、知った人が言っていた。


 しかし真澄遊んでばっかりじゃねえか。

 「花のもとにて春しなん」とは、西行法師の「ねがはくば 花のもとにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」という歌のことだそうだ。
 古人の風流レベルのこの高さよ。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明5年2月15日/平成31年3月25日



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『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
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