前日:天明5年3月2日/平成31年4月10日


天明5年3月3日(新暦換算:4月11日)

秋田県湯沢市 柳田 → 湯沢の町中




【雛遊、闘鶏】

 3日。雛祭りの風習は、どこの国でも同じようだ。この郡を治めておられる御館で闘鶏があるのを見にきた人々や子どもたちは、手ごとに鶏を抱えていた。館の主が盃を差し出し、また今日の歌はあるかと聞こえたので、

みちとせの 春にあふむの 盃や むかへは桃の かけにゑひぬる。



 「雛祭り」と「桃」。

 とりあえず、「この郡を治めておられる御館」は佐竹南家の屋敷のことだろう。というわけで、この日真澄は柳田から湯沢の中心部に来ていたことになる。

 そして「館の主」はつまり佐竹南家の当主のことだろう。
 差し出し~以降の部分の訳はまったく自信がないのでアレだが、真澄と何かしらの交流があったように読める。

 この時点で既に、真澄は「湯沢のあちこちに出没する旅の教養人」的なポジションを確立し、為政者を含む色々な人と付き合いがあったのだろうか。
 もしその通りなら、たいしたもんだ。同い年として尊敬する。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明5年3月4日/平成31年4月12日



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