秋田県湯沢市雄勝町の小野小町伝承
岩屋堂 その1
前回の続き。
これから山を登っていく。
さすがにスニーカーで行くのは躊躇われる。
登る。
小野小町もこの道を歩いたのだろうか。
終焉は近い。
……
…
正直なところ、【地元探訪】で岩屋堂を紹介するかどうかは非常に悩んだ。
というのも、地元の恥を晒すことに他ならないからだ。
ちょいと前、「【善意が生んだ悲劇】80代の女性が勝手にキリスト壁画の修復を試みる → 絵が下手すぎて顔が別人に」というニュースがあった。
このニュースは悲喜劇というか、外野から見ているだけなら多分に喜劇の色合いが濃いような気がする一方で、当事者にとってはたまったものではないだろう。
近年、岩屋堂でも同じようなことが起こってしまったのである。
岩屋堂傍らの案内看板。なお、横にはゆざわジオパークの解説板もある。
岩屋堂
小町が晩年を過ごした祠
小町が晩年、世を避けて住んでいた広さ二十畳程の祠で、岩には鴨居や敷居の跡が見られます。
小町はここで香をたきながら、一人自像を刻んで暮らしていましたが、昌泰三年(900)、九十二歳でその生涯を閉じました。
当時の岩屋堂は現在のような杉林はなかったため、入り口の前に立つと眼下に長鮮沢(深草少将の仮住まい長鮮寺があったところ)をはじめ、小野の里が一望できました。
この景色を眺めながら小町はどのような想いをめぐらしていたのでしょうか。
湯沢市
コレが今日の岩屋堂の姿である。
以前の姿がどうであったかはこのページに詳しい。
かつて山中に大口を開けていた岩屋堂は○○屋の如き意味不明な格子が取り付けられ、地面もコンクリで乱雑に舗装されてしまった。
どこの誰がどのような発想でもってこんなことをしたのかは知らないが(なんとなく想像はつくが)、このような有様にしておきながら、「かつて世俗を去って岩屋堂に籠った小町の心境を想ってください」などと言うのだろうか。
ああ無惨。
湯沢市雄勝町の小野小町は、他の伝承地とは比べ物にならないほど、このうえなく地元民に愛されている小野小町だと思っていたのに。
せめて、この有様が地元の総意ではなく、小町の人生や精神性を蔑ろにしていかにも観光受けする「見た目の派手さ」にしか興味が無いごく一部の人々の暴走の結果であることを願うのみである。
……というわけで気を取り直して、岩屋堂の中を見てみる。
奥まった場所にはいつの頃からか置かれるようになった小町の像がある。
案内看板に書かれていたように入り口から振り返った光景。
確かに、杉林さえなければ深草少将の眠る長鮮寺を含めて小野の郷を一望できる場所となっている。
現実的に老境の女性が一人で岩屋堂で暮らしたとは考えられないということで、実際に小町は道中にあった小野寺で過ごしていたのではないかという説もあるようだ。
いずれにせよ、小町は深草少将の死を経て俗世から去り、岩屋堂で一人余生を過ごし、九十二歳でその生涯を閉じた。
いつとなく かへさばやなん かりのみの いつつのいろも かはりゆくなり
その亡骸は小町を憐れんだ里人により、深草少将が眠る二ツ森に葬られたという。
そして、物語は続く。
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