秋田県湯沢市雄勝町の小野小町伝承
小野小町は深草少将が亡くなった後、少将が仮の宿としていた長鮮寺に回向のための板碑を建立する。
やがてその長鮮寺がなくなってしまったので、桐善寺に板碑を移した。
よって、長鮮寺との絡みで小町史跡に含まれてはいるものの、小町本人との直接的な関係は薄いとも言える。
鳳凰山桐善寺。
案内看板。
小町は深草少将を供養するために長鮮寺に大きな板碑を建立しました。今の桐善寺は、寛永年間に桐の木田から平城に移り、以後、長鮮寺にあった梵字の入った板碑はこのお寺に移されました。
境内にある、長鮮寺から移されたという板碑。
案内看板には「梵字の入った」とあるが、表面の風化が進んで何も読み取ることができない。
小町が深草少将亡き後、供養のために行ったことは大きく四つ。
・少々の亡骸を二ツ森に葬る
・長鮮寺に板碑を建立する
・地蔵菩薩を作って向野寺に安置する
・九十九本の芍薬に九十九首の歌を詠じる(名を「法実経の花」といった)
実植して 九十九本(つくもつくも)の あなうらに 法実(のりみ)歌のみ たへな芍薬
そして小町は、人々の前から姿を消した。
とっぴんぱらりのぷう。
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