前回:天明5年2月20日/平成31年3月30日
天明5年2月22日(新暦換算:4月1日)
秋田県湯沢市 柳田 → 湯沢の町中
【ばかい萠ゆ】
二十二日。湯沢に行くと、高く積もった雪もやや消え残るくらいになって、
堤に生える“ばかい”《ふきのとうをいう》や“ひこひこ”《羊蹄草をいう》を摘み歩き、
“かこべ”《小さな竹かごをかこべという。また信濃では桜の皮の煙草入れをかこべという》という器に入れていく女が群れていた。町中に入ると、「野老野老」と売り歩くのを買って、市女笠を傾けて食べる光景があった。
(大館市立図書館・菅江真澄作品集より引用 http://lib-odate.jp/sugae.html )
春の訪れを強く感じさせる日記である。
ふきのとうの呼び名として真澄は「ばかい」と記しているが、少なくとも私の知る限りこの辺では「ばっけ」と言っている。真澄の記述が正確で、本当に昔は「ばかい」と言っていたのなら、「うまい」が「うめえ」になるように、この二百年の間に「ばかい」が「ばけえ」になって、そして「ばっけ」になった可能性もある……か?
野老は以前にも登場した山芋の一種。外で売り歩いているのを買って、そのままむしゃむしゃと食っていたようだ。「市女笠」からわかるように、食べているのは女性である。
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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献
『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965
記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている
※この記事の写真は平成31年3月30日に撮影したものです
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次回:天明5年2月29日/平成31年4月8日
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