前回:天明4年10月14日/平成30年11月26日


天明4年10月18日(新暦換算:11月30日)

秋田県羽後町西馬音内




 この三日四日、この宿にいる間大雪が降り、吹雪でどこにも行けなかった。


 というわけで、雪があまりにも激しく日記を書く気力さえなくなったようで、今まで途切れずに書いてきた日記は三日間途切れ、四日ぶりの日記となる。

 平成30年は今のところ明らかに暖冬傾向だが、今朝は久々に雪の朝となった。




【雪たはら】

 今日のまち(市場)に行くためにといって、雪俵、俵くつというものを人ごとに作り、その中に足を入れて、俵の袴を着るようにして積もった雪を踏みならし歩き、「ひやこ(寒いことをいう)」、「さはら(嘘をつくという言葉である。これを“さはら”とも、“なたまける”ともいう)ではない」と言い捨てて家に入り、春には芽吹く柳の枝を火にさしくべて、家に散らばった破れ紙で鼻を拭った。


 今も昔も、積もった雪を踏み固めて道を作る。そのための道具が「雪俵」である。

 真澄が書いた「ひやこ」は、「ひゃっこい」である。真澄は寒いことだと書いているが、もっぱら「冷たい」という意味で、今でもしょっちゅう使っている。意図しない猛烈な冷たさを感じた時には、反射的に「ひゃっこ!」と叫ぶ。

 「さはら」はよくわからない。



【せなあぶり はらあぶり】

 せなあぶり、はらあふりということをして、帯を解いて火にあたる。

 火に当たっている向きしか温まらないので、背中と腹の両方を火に当てる必要がある。
 当然といえば当然のことだが、その行為自体に名前が付いていたというのは面白い。
 



【柴こ、火こ】

 母親も入ってきて、「この雪だばさび! わらしだぢ、どんどん火さくべれ! 柴っこ(“○○こ”と、国の習わしで、“こ”を付けていうことが常である)持ってこい!」と、火の傍を離れずに夜を明かした。わらしとは童をいい、めらしとは、若い女をいう。


 「○○こ」は秋田あるあるである。ぼだっことぶりっこが私の中の二大巨頭。

 「わらし」は今でも普通に使う。
 「めらし」は聞かない。→今から50年以上前、「若い」「女の」「お手伝いさん」を「めらし」と呼んでいたという話を聞いた。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明4年10月19日/平成30年12月1日



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初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
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