前日:天明4年10月1日/平成30年11月13日


天明4年10月2日(新暦換算:11月14日)

秋田県由利本荘市前郷 → 由利本荘市矢島




 朝早く出発してくれば、昨日の風雨の名残もなく吹き晴れて実に天気がよい。をみのうち、いかずをへて、小菅野というところが見える場所に行き、

山陰に 一すじ 見ゆる かよひちや 小菅のさとの 冬かれの頃。

 かり澤、なかの岡、山田、上條、昨日渡った川を再び渡った。あちらこちらの川岸に葛を繋いで、市に行くたくさんの人が忙しく渡るのを見て、

行かひは まさ木のかつら くりかへし 引手あまたに わたす舟人。


 子吉川を遡る国道108号線は道中で何度も何度も橋を渡る。真澄が歩いた当時は道路にくわえて川舟が大きな交通手段となっていたようで、小菅野に向かうゆり大橋のたもとには舟着場跡の石碑が立っている。




 これらの写真は11月13日に撮影したもの。雨の後の晴天に、晩秋の小菅野の光景を収めることができた。





【矢島の鄕】

 よし澤に上がって玉坂、前杉などというところを下って、矢島の郷に泊った。

 吉沢の岸に上がって、



 前杉を通り下って、


 真澄は矢島にやってきて、泊った。
 写真は矢島駅の周辺。





 もし真澄が現在の駅舎内を見たら、何を想ったのだろうか……





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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



※この記事の写真は平成30年11月12日・13日に撮影したものです



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翌日:天明4年10月3日/平成30年11月15日



【記事まとめ】『齶田濃刈寢(あきたのかりね)』――菅江真澄31歳・秋田の旅
初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の描いた絵を辿り、秋田の県南を旅した紀行文


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