前日:天明5年1月7日/平成31年2月15日


天明5年1月8日(新暦換算:2月17日)

秋田県湯沢市柳田(たぶん)




【避病の禁厭】

 八日。唐土の空から病の神が渡ってくるのを追い払い、家に入れないために、すみずみまで祓い清めて、戸口の柱、礎石などに、灸の火を付けるのを見て、

氷ゐし やま井の水や いとはやも 解てなかるる 春は來にけり。



 「禁厭」は「まじない」と読む。こうした風習の記述は読んでいてぞくぞくする。

 それにしても、今日のような歌を見る限り、真澄の詠む歌がヘタクソだとはとても思えないのだがどんなもんだろう。芸術性は知らんが、見聞きした出来事をユーモアたっぷりに表現する腕前はじゅうぶんじゃないか。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明5年1月9日/平成31年2月17日



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