前日:天明4年9月26日/平成30年11月8日


天明4年9月27日(新暦換算:11月9日)

秋田県にかほ市象潟町小砂川 → 秋田県にかほ市象潟町塩越




【関村は関址か】(※これらの見出しは『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている)

 風が西から吹くので、天気も良くなるだろうと真澄は小砂川を出発。
 おまえ、昨日天気が回復するのは「あゆの風(東風)」だって書いてなかった? 

 坂をひとつ越え、川袋という浜を経て真澄は関村に到着。
 この関村が、いにしえの「有耶無耶の関」なのだろうと真澄は書いている。

 この「有耶無耶の関」とは、二日前の日記に登場している「手長・足長」に関連する伝説。
 手長足長の横暴を見かねた神々が木の上に鳥を住まわせ、手長足長が居れば「有耶」、居なければ「無耶」と鳴いて人に知らせた。そのため「有耶無耶の関」という名前が付いた、というもの。
 秋田県にかほ市象潟町関には今なお「ウヤムヤノ関」という地名が残っている
 しかし、にかほ市の資料によれば、真澄が二日前に訪れて手長に関する話を記した三崎坂にも有耶無耶の関跡があるとされる。一応真澄も、「三崎山の地獄谷の辺りにあるという人もいるが、間違いだろうか」と書いている。

 結局、どちらが有耶無耶の関なのかは判然としない。さすがは有耶無耶の関である。


 写真は現在の関の様子。


 鳥海山を遥かに望む古峰神社があった。



 関村から北上する際、真澄は小川を二つ渡る。

 確かに川が二つあった。







 近くにはこんな施設もあった。



 川を渡った真澄は右手に丘を見る。小松の群立つ白砂の小高いところを「鳥耶杜」という。
 真澄はこの鳥耶杜の名について、「とやとや鳥のうやむやの関」といった昔の名残だろうか、と書いている。
 この記述は「もののふの いづさ入るさに しをりする とやとやほりの むやむやの関」(『夫木和歌抄 二十一巻』)からきているのだそうだ。

 現在、川を渡って右側の斜面は住宅地が広がっており、その中でも一番高い辺りに「鳥屋森」という住所の場所もある。
 実際に鳥屋森に行ってみたが、真澄の記述を思わせるものは何一つ残っていなかった。




【汐越に到る】

 そんなこんなで、汐越の浦についた。汐越=塩越。
 塩越はにかほ市の中心部を指していたようで、現在では象潟駅の前の一帯に塩越の地名が残っている。



 真澄は汐越に着いて、「わずかばかり象潟が見えた」と書いている。

 私も真澄同様象潟を訪れるのは初めてで、どこにどんな風に象潟が見えるのかと思ったら、駅前にこんな案内看板があった。


 こりゃすごい。

 象潟を見た真澄は「世の中は かくてもへにけり 象かたの 海士のとまやを わか宿にして」(『後拾遺集 巻九/能因法師)と誦して、家の合間、橋の上などから島がいくつも見えるのは趣深いと思っていると、行く人が「八十八潟九十九杜」と歌った。 
 場の風流レベルが高すぎる。

 真澄が蚶満寺の西にある袖かけ松(所在不明)の辺りに行くと、風が強まって霰や雨が降り、目の前の島々がみな曇って、梢の色だけが薄く照っていた。風が吹き続け、この辺りの島の梢の紅葉は雨に降られるよりもふり積もり、漁師たちは棹を横たえで急いで船が帰っていく様など、目を離せなかったと書いている。

あま衣 にしきにかへて 蚶潟の 嶋山あらし 誘ふもみち葉

 言うまでもなく、真澄が見たこのような光景は、1804年の象潟地震と234年の時の流れの中でほとんどが失われている。


 また雨が激しくなってきたので、ある磯の家の軒に寄って、

たひ衣 ぬれてやここに 象潟の あまの苫やに 笠宿りせん

 「ただ象潟の秋の夕くれ」と空を眺めつつ、真澄はこの里に宿をとった。
 ちなみにこの鉤括弧の中身は、西行法師の「松島や おしまの月は いかならん ただ象潟の 秋の夕ぐれ」からきているらしい。

 毎度思うのだが、真澄はこの手の歌を場に応じて即想起できるレベルでことごとく暗記していたのだろうか。そうだとしたら、同い年の身として教養の差に愕然とする……


 ちなみに、にかほ市象潟町一丁目塩越に、菅江真澄が泊った旅籠「岡本屋」の跡が残っている。


 『齶田濃刈寢』に泊った家の名は登場していないが、泊った家には真澄に関する記録が残っていたということなのだろう。



 この日、真澄はついに象潟にやってきたが、雨に降られて本格的な見物は翌日以降に持ち越しとなったようだ。



……



※この記事の写真は平成30年11月6日に撮影したものです



……



翌日:天明4年9月28日/平成30年11月10日



【記事まとめ】『齶田濃刈寢(あきたのかりね)』――菅江真澄31歳・秋田の旅
初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の描いた絵を辿り、秋田の県南を旅した紀行文


【地元探訪】記事まとめ

言の葉の穴は「神様セカンドライフ」を応援しています

【創作・地元ネタ】まとめ