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※この記事はFAN AKITAプロジェクトページ「活動報告」への投稿と同内容です




菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第四章
「湯澤の山の上と下」



 第一章から第三章まで栗駒山・栩湯・川原毛地獄と見てきましたが、真澄が描いたものはなにも景勝地だけではありません。特定の景観をピンポイントに描くだけではなく、より広い範囲を俯瞰したような絵も多く描いています。
 ただ、それらの絵は広範囲を扱っているだけに「どこから、どのように」描いたのか特定するのが難しく、真澄の足跡を辿るのがかえって難しいという側面もあります。

 第四章では『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』一巻から湯沢市の山谷~稲川地域~宇留院内峠の一帯を描いた絵を取り上げ、当時の面影を探しに行きます。



 まずはこの絵から。




 そのものずばり「湯澤」と題された絵ですが、実はどこから描かれた絵なのかいきなり定かではありません。
  平野、川、遠方の山々。一応、湯沢市役所の隣にある「お城山」――湯沢城址の高台から眺めた景色が雰囲気的には似ているものの、確証はありません。




 湯沢城址の麓には日本名水百選に選ばれた「力水」が湧いており、隣接する公園内には真澄の歌碑が立てられています。



 たのしさよ 千代もかはらず くみかはす
 湯澤の里の 春の盞


 なんとも和やかな雰囲気の歌ですが、実際は『小野のふるさと』の中で真澄が湯沢の新年の酒席に顔を出した際、酒を強くすすめられて断った際に「俺の酒が飲めないなら即興で歌でも詠め」と言われ、出来上がった歌です。
 湯沢人の酒癖は二百年以上も前から…………うーむ。


 湯沢から山谷峠を越えて稲川に入ります。
 ここでも何枚か絵を描いていますが、ハイライトはやはりこの絵でしょうか。






 ちなみに稲川といえば、日本三大うどんとして名高い「稲庭うどん」の産地でもあります。
 そして真澄もまた、『雪の出羽路 雄勝郡』の中で稲庭うどんに言及しています。
 稲庭うどんは当時から全国的に有名だったようで、真澄は当時知られていたこのような歌を紹介しています。


どなたでも いなにはあらぬ このうどん



 うーん、うまい!


 その後は稲川から宇留院内峠を越えて、湯沢の須川地域にやってきます。
 広範囲を描いた絵が多く、描かれた場所や事物を辿るのは大変でしたが、やはり実際に歩いてみると新たな発見が数多ありました。






 第四章で扱う絵はどれも派手さはありませんが、地誌『雪の出羽路 雄勝郡』や日記『小野のふるさと』の記述も丁寧に追うことで、足取りの中に当時の面影はじゅうぶんに感じられます。


 是非、完成した本の中でお確かめください。