畔前回:天明4年の冬の記憶②


天明4年11月15日(新暦換算:12月26日)
※日記に日付の記載なし、内容からの推定

秋田県湯沢市柳田 → 湯沢の町中




【湯澤に行く】

 霜降月(旧暦十一月)の半ば、湯澤《昔いで湯があったという、今も山畑の畔から湯の出るところがある。“かくち”というたばこを産する里である》のうまやに行けば、雪は五六尺あまり、片崖や谷などを望むようだった。


 「霜降月の半ば」という記述から、この日を天明4年11月15日とした。

 降る、積もる、微妙に溶ける、降る、積もるを繰り返すと、積雪は「層」めいた表情を見せる。
 これこそ、単に「高い」「深い」を越えて「崖や谷」を想起させるのである。


 この記事の写真は平成25年の冬に撮影したもの。
 平成30年は依然として雪が少ない。雪かきの労力が少なくて済むのでありがたいのだが、真澄が見た光景との乖離が激しいのがなんとも。



【はきぞり】

 このように、しみ凍った雪の上に子どもらが集まって、はきぞりという、二尺あまりの細い木に綱を輪にして付けて、首にかけて、軒ひさしの上から何度も何度も滑り降りて遊んでいる。


 屋根でスキー。


 粉本稿にも絵がある。
(大館市立図書館/『粉本稿』より引用 http://lib-odate.jp/sugae.html )



【犬自慢】

 また、わらべが犬を引いてきて、
「このようにむくむくと肥えた犬っこはあらし!《“荒き”だろうか、力強く振る舞うことである》」
「いや、その犬っこは“みのこなし”《たいそう弱く、他の犬を恐れることをみのこなしという》だ、だから負けるな、おれの犬っこ」
「その犬は昨日ぶたれて小たぐりした(へどを吐いた)」
「このしろっこは、ありまなんとかの守が召し抱えた犬の子孫で」
 とかなんとか言い争っていると、犬はみな、家の上に雪を伝って駆け上ったので、同じように子供たちも馳せ上っていった。




【松やにぶて/馬のおもつら】

 日が暮れて、ある山里に宿を借りれば、家のあげまき(髪型のこと。そしてその髪型をしている子供)が灯りの近くにいて、「松やにぶて《火の勢いが弱くなれば、金箸で打つ》、たいそう暗い」「こうみ八寸、はな六寸」といって、計りながら、“しなた”というものを縄により、馬のおもつらというものを編んでいた。門を叩いて入ってきたうばそく(山伏の意)が、「これは六日行った柴燈の護摩の御札である。これを貼るといい」と言って差し出し、くたびれていたのか、早々と鼻を打ち鳴らして眠ってしまった。


 『菅江真澄遊覧記』によれば、「馬のおもつら」は馬具の一種である「面繋(おもがい)」だろうとのこと。

 一応山伏も宿を借りる時は何かしらの対価を払ったようだ。霊験あらたかなおふだも対価になったらしい。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明4年11月16日/平成30年12月27日



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