前回:天明5年2月2日/平成31年3月12日


天明5年2月5日(新暦換算:3月15日)

秋田県湯沢市柳田 → 湯沢




【こやし運び】

 三日、四日は雪が降って、五日はとてもよく晴れた。五尺、六尺の雪も日の当たる場所ではあちらこちらで消え果て、霜が降りていた。雪が少しばかり降り、“馬のつら”というものを着て、けら蓑を着て、そりを引いて歩く男たちがたくさん、自分の田畑のある場所を推しはかって、雪の上に、五穀の肥やしを持ち運ぶ様子を遠くに見れば、遥かな海面を船が行くように見え、ただ白銀の山、白銀の道のおもしろさを、故郷の人と一緒に見られたらなあと、物思いしながら湯沢にやってきた。


 面白いことはあるもので、平成31年の3月13日・14日も久々の雪となった。


 そして今日、15日はとてもよく晴れた。234年越しのシンクロニシティ。


 せっかくなので確定申告のついでに力水に寄ってきた。
 天明5年1月4日/平成31年2月12日からどれだけ雪が溶けたか見てほしい。




 雪の上から肥やしをまく人々が行き交う姿を、真澄は海原を船が行き交う様子と書いている。なんとも素敵な表現ではないか。
 下の写真は今日撮ったものではないが、今でも柳田は田んぼが広がり、冬には一面の雪原となる。白銀の雪原を人々が行き交う様は、真澄が故郷の人々にも見せたいと思うほどに素敵な光景だったのである。




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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



※この記事の写真は(基本的に)平成31年3月15日に撮影したものです



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翌日:天明5年2月6日/平成31年3月16日



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『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
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