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天明5年2月20日(新暦換算:3月30日)

秋田県湯沢市 ある里(柳田か、その近く?)




【婚禮の習俗】【毛利木】【すくひ】

 二十日。ある里で、妻を迎える行事があった。まず、“むこかねの毛利木”といって、二尺あまりの勝軍木(ヌルデの木)を、両端を紙に包んで白台に乗せた。また女の家からも持ってきて、それぞれ二本ずつ四本を合わせて、両方へ一本ずつ取り換えて帰る。この嫁の帯をしている尻に、かの“もり木”を当てて、“すくひ”といって五尺あまりの織り目の粗い布を、嫁の肩からかけて、背負う助けとした。これは、子どもを背負う時にも常にするものである。


 『菅江真澄遊覧記』によれば、「毛利木」は「守り木」のことで、婚礼の際、婿が嫁を背負う際に使うものだそうだ。「男は嫁を背負わねばならぬ」という通念が物理的習俗として顕現している例と捉えられよう。



【筵一枚づつ】

 婿の家から筵を一枚出し、女の家からも筵を一枚出して、婿の筵を上に、嫁の筵を下に敷くのが普通だが、これを争って、女の側は女の筵を上にしようと、腕まくりをして抵抗している。女の筵を上に敷かれるのは、男の恥だと言っていた。小刀などで筵二枚を刺し貫けば、敷きかえることができない習わしだという。


 これぞまさしく「尻に敷かれる」か否かの試金石というやつか。



【錦木と細布の意か】

 この“もり木”は“錦木”であり、また嫁を背負う時の白布を“すくひ”といって、必ず持って渡るのは“狭布の細布”だろうか。陸奥の国が近いので、このような風習が思い当たった。もしかすると遠い昔はこの国も“みちのおく”と言ったので、さもありなんか。ヌルデは紅葉した時の色が深いので、錦とも言うのではないか。この“もり木”をしまっておいて、その人が亡くなれば火葬の薪や、骨を集める時の箸とする習慣だという。


 前半部分の「狭布の細布」は、そういう慣用表現があるようなのだが、いまひとつ真澄が何を言いたいのかわからなかった。

 とにかく、「毛利木」は婚礼から死に至るまで、大切にされていたようである。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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