前日:天明4年10月4日/平成30年11月16日


天明4年10月5日(新暦換算:11月17日)

秋田県由利本荘市矢島
※どこに居たかの記述はないが、矢島を出発したとの記述もない




【川袋の奈曾白橋】

 五日。二箇部(汐越の浜をにかぶという)生まれという商人が言うには、過ぎてきた川帒というところのあたりに、白糸の滝など、面白いところが三つある。これは、鳥海の峰から落ちて滝となっている。それにかけ渡した白木橋という橋が、尋ねている奈曾白橋だというので、「いではなる なそのしらはし なれてしも 人をあやなく 戀わたるかな」という名所はこれだった、たくさんの人に尋ねたのに、知らずに通り過ぎてきてしまってくやしい。

たつねこし 其がひなその しは橋を しらてあやなく 戀わたりぬる


 真澄は話に聞く名所である奈曽の白滝&白橋をスルーしてしまったことにショックを受ける。奈曽の白滝&白橋はにかほ市の内陸にあり、真澄は沿岸部を通って象潟に直行してしまったので、いたしかたなしというやつである。
 ただ、わざわざ滝と橋を見るために戻ることはしなかった。



【寂蓮の歌と象潟】

 またある人が、「あまをふね やそしまつたふ 浪のうへに こきのくあとは 松のひとむら」と言うのは、象潟のことだろう。八十八潟九十九森という一ふしの歌でも知られているというが、どういうことだろうか、知らない。

 とにかく象潟は古くから歌に詠まれまくった名所だということである。


 体調を崩したこともあり、なんだかんだ言って真澄は矢島に四泊している。
 いよいよ明日は出発だ。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明4年10月6日/平成30年11月18日



【記事まとめ】『齶田濃刈寢(あきたのかりね)』――菅江真澄31歳・秋田の旅
初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の描いた絵を辿り、秋田の県南を旅した紀行文


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