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※この記事はFAN AKITAプロジェクトページ「活動報告」への投稿と同内容です


小町ゆかりの地「真澄と歩く」出版プロジェクト – FAN AKITA


 江戸時代の紀行家・菅江真澄(すがえますみ)が残した文章と絵をもとに、秋田県雄勝郡を歩いた彼の足跡を辿り、その行程を綴った紀行文を本にするプロジェクトです。



菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第十章
「神杉の座はかく語りき」



 紀行文『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』を締めくくるのは羽後町の三輪神社です。
 『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第三巻は羽後町の絵を収録していますが、その大半が三輪神社に関連する絵です。そして他の巻がそうであるように神社や周辺の光景を描いたものだけでなく、三輪神社が所蔵する数々の「宝物」の絵が含まれることが大きな特徴と言えます。


 こちらが今に名高き三輪神社です。





 真澄が訪れた二百年前と比べると、三輪神社も、神社周辺の光景も、大きく様変わりしました。
 特に「杉宮」の地名の元となった神杉の群立つ林は、今ではすっかり小さくなってしまいました。

 しかし、大鳥居に向かう道も、道脇の水路も、よくよく真澄の絵を照らし合わせれば、かつての姿を思い浮かべることは今でもできます。






 宝物は様々なものが描かれていますが、「鎗」や「刀」、他には「鏃」など、武具が多い印象です。
 三輪神社は本社の三輪神社の他に八幡神社と須賀神社が合祀されており、長く続いた武士の時代では特に八幡神社が篤く信仰されました。武具が多かったのはそのせいでしょうか。





 
 真澄が描いた三輪神社の宝物の中で、残存するものの大部分は現在羽後町歴史民俗資料館に保管されています。
 先ほどの「鎗」と「刀」もあります。





 ちなみに嘘か真か、この刀は小野寺氏の祖・藤原秀郷が「蜈蚣」を斬った「勢田丸霊剣」として伝えられています。
 普段は資料館の倉庫にしまわれているのですが、幸運にして私は刀身を目にすることができました。

 その姿は、なんと…………


 ……是非、完成した本の中でお確かめください。



 「昔のものが今も変わらず残っていること」だけが歴史なのではありません。
 「変わること」や「無くなること」も、時間の経過の中でひとつの流れとして捉えれば、それもまた紛れもない歴史なのです。

 菅江真澄という人物の視点から私の地元を見つめ直した体験を、多くの人と共有できれば幸いです。