前回:天明4年10月19日/平成30年12月1日


天明4年10月22日(新暦換算:12月4日)
※日記に日時の記載なし・文面から推定

秋田県湯沢市柳田




【雪垣をする】

 こうしてここの家でつれづれに過ごしていると、冬ごもりするために、葦のすだれ、稲菰のむしろで雪垣というものをするといって、家の周囲を押し囲うと、ほどなく雪が激しく降り、こちらとあちらの見境すらつかなくなった。


 「つれづれに過ごした」という記述と、どうやら一度それなりに雪が融けたらしい記述から、この日を天明4年10月22日ということにした。


 羽後町方面から入る柳田。


 湯沢方面から入る柳田。


 真澄は「雪垣」と書いているが、今はもっぱら「雪囲い」あるいは「冬囲い」と言っているように思う。
 ただ、平成30年ともなるとそれほど大規模な雪囲いをする家も減り、庭の植物に対するものが中心となっている。


 と思ったら、柳田の八幡神社では見事な雪囲いがされていた。



 かつてはこんな感じの雪囲いを、植物だけでなく家に対しても行っていたのだろう。



 平成30年もいよいよ雪が降り出しそうだ。

 当面真澄の日記に日時の記載はないので、次回は本格的に雪が降ったらにする。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



※この記事の写真は平成30年12月4日に撮影したものです



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次回:天明4年の冬の記憶①



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