佐竹義宣は関ヶ原の戦いにおけるどっちつかずの対応が原因で、出羽国久保田(秋田)への転封を命じられた。
 平野の広がる常陸国(おおむね茨城県)から秋田へ向かう東北の旅路は、さぞかし佐竹義宣の心を曇らせたことだろう。

 さて、佐竹義宣は山形から有屋峠を越えて秋田にやって来た時、疱瘡(皮膚病)にかかってしまった。湯沢市役内には佐竹義宣が快復を祈願したという「千代世神社」が今も残っている。

山形から秋田へ抜ける有屋峠(もちろん直線ではないけれどだいたいこんな感じ)
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 田舎に国替えさせられてムシャクシャ、皮膚病にかかってムシャクシャ、挙句の果てに転封先の秋田にやって来たと思ったらまるで谷底の如き地形が延々続くという有様。
 さらに治水もままならなかった当時、役内川と雄物川はしょっちゅう氾濫を繰り返して流域は滅茶苦茶になっていたことだろう。


湯沢市上関、国道13号線から見た東西の様子
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山・川・山、つまりこんな感じ
アイコン地元


 常陸国とはまるで似ても似つかない狭小な土地を前にした佐竹義宣の心境は察するに余りある。


 というわけで不機嫌の極みに達していた佐竹義宣だったが、関口村の外れに差し掛かった時、眼下に広々とした平野が開ける様を目にした。さらに、彼方に望む鳥海の峰にいたく感激し、大いに機嫌を直したという。

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南を向けば山々、北を向けば山並みが切れている
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そして遠方には鳥海山
この写真では山頂付近しか見えていないが、かつての街道筋はもっと山沿いの高い所にあったとのことで、よりはっきりと山容が見えたのだろう
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 その場所、名を「御機嫌坂」
 まさに横手盆地のはじまりの地である。
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 御機嫌坂記念公園と刻まれた石碑は、ただ静かに、時の流れに佇む。
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 とっぴんぱらりのぷう。



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