前回:天明4年10月22日/平成30年12月4日


天明4年の冬の記憶
※日記に日時の記載なし

秋田県湯沢市柳田




【雪深ければ】

 ただこのように日々雪が降り積もって軒も隠れ、低い屋根などは棟もわからないほどに雪が高く積もったので、里の子が“かいしき”というものを手に持って、屋根の雪をかき下ろしていた。朝夕踏み慣れた道も跡形もなくなり、あの俵(雪俵)を履いて、踏みならして通う。中垣のあちらの近いところに行くにも、雪袴《ちくさ色の浅袴である。信濃では行袴という》というものを着て、蓑帽子《みの頭巾である。また“馬のつら”というかぶりものもある》をかぶって行き交っている。


 雪国の冬。

 前回の写真と見比べてほしい。


 羽後町方面から入る柳田。


 湯沢方面から入る柳田。


 道脇に降り積もる雪。


 埋まる柳田の八幡神社。


 埋まる雪囲い。



 湯沢市大町の「まちの駅 カクトとみや」には民俗資料の展示スペースがあり、様々な民具からかつての雪国の様子をうかがうことができる。
 各種防寒具にくわえて「雪俵」や「かいしき」など、真澄の絵と見比べてみるのもおもしろい。
(大館市立図書館・菅江真澄作品集より引用 http://lib-odate.jp/sugae.html )





 雪俵







【風雪強くて】

「あぁ、“つらかましない”《こんなに強いという言葉である》“ふき”《吹雪をいう》だ」
 と声を震わせて行く者に、
「なに“たまげる”《驚くことをたまげるという。魂消と書くのだろうか》よ、いつも冬はこんなものだろう」
 と後ろの男が、
「こいつは“くたましない”《また“くだま”ともいい、妨げがあることである》奴だな、さっさと行け」
 と蓑を打ち叩いて越していくのを、
「ゆるさん」
 などと戯れていた。高い屋根や梢などから雪の落ちる音がすさまじい。



 まるっきり聞いたことのない方言らしき言葉がいっぱい出てきてたまげたなあ……

 まあ確かに、冬はいっつもこんな感じである。
 たとえ平成30年が暖冬でも、だいたいこんな感じである。



【硯水凍る】

 私が朝に硯のふたを開けているのを、家の翁が見て、
「この“しがこ”《“しが”とは氷をいう》よ、水がしみて、ふでこ《単に筆という意味》も持てない」
 と言って、埋火の辺りに近づいて物を書く頭つきは、どちらが雪かという様子だった。



 朝、家の中の水が凍っているレベルで雪国の冬は辛い。
 それでも、稀に晴れた冬の朝、朝日を浴びた氷の美しさは格別である。


 ちなみに、湯沢市皆瀬では毎年「しがっこ祭り」が開催されている。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



※この記事の写真は平成30年12月に撮影したものです



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次回:天明4年の冬の記憶②



【記事まとめ】『齶田濃刈寢(あきたのかりね)』――菅江真澄31歳・秋田の旅
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