前日:天明4年10月9日/平成30年11月21日


天明4年10月10日(新暦換算:11月22日)

秋田県由利本荘市鳥海町伏見 → 羽後町軽井沢田茂ノ沢




【をさ橋】

 十日。道が付いた(※)というので、舟に乗って川をひとつ越えて、雪の中の道をかきわけて行くと、梭橋(おさはし)があった。木を間遠に編んだところに雪が厚く積もり、日が照ってなかば消えていった。見るだに恐ろしい谷川の激しい流れを、人に助けられて、辛うじて渡ると、橋がゆらゆらと揺れていよいよ身が震え、なんとか渡り終えたと思ったら、また、崖などを下るのと同じくはしごを下りて、ひと息つく間もなく、汗を押し拭った。


 まずは地図を見るのがいい。クリックで拡大推奨。
(地理院地図・電子国土Webより)

 (※)の部分の原文は「みちつきたり」。『菅江真澄遊覧記1』の訳だと「道が断たれた」となっているが、なぜ道が断絶すると出発することになるか謎なので、ここはもっと単純に、「ある程度雪が踏まれて道ができた」という意味ではないだろうか。

 とにかく、真澄は雪に降られて四泊した伏見を後にし、雪の中旅を再開した。
 確証はないが、今まで伏見に滞在していたことを考えると、ここで最初に真澄が舟で渡った川は子吉川で、次に橋で渡った川が笹子川と思われる。

 ただし、後述する八木山の峠道にも小川と橋がいくつもあり、真澄の記述はそれらを指している可能性もある。




【焼山を越す】

 やけ山というところを越えようと、雪の高嶺を下り登りしていく。あらぬ方向に道を踏み入っているのは、山人が仮に通った跡だろうか、あるいは旅人が迷った跡だろうか。


 案内もなしに、しかも初めての雪山を越えようと思ったのか。死ぬ死ぬ。

 なお、ここで真澄がいう「やけ山」「焼山」とは「八木山」のこと。


 この峠道を越えると羽後町に抜ける。





【越中の薬賣】

 たくさんの足跡を、あれかこれかと見ていると、越中の薬売りの男が二人先立っていくのを案内に、後ろから付いていった。

まよひこし ふみかふあとを しるへにて わけわつらひぬ 雪の山路。



 富山の薬売りつよい。
 おそらく、この二人の薬売りとの奇跡的な出会いがなかったら、真澄は雪道で迷ってそのまま命を落としていたに違いない。菅江真澄研究家はすべからく富山に感謝せねばなるまい。



【御國と答ふ】

 かんじきというものを履いて、高く雪が積もって氷った上を、木材を引き落とす山人に尋ねると、この山を下ればおくに(秋田領をいう言葉である)ですと、丁寧に答えた。薪を積んだそりがまれに行き交うのみで、他に人はいない。また山を下れば、道はどこだろうか、あちらこちらに踏み跡が付いているのは、荒熊、猿などの獣が歩いた跡だとか。遥かな谷底に人の住処があったが、雪の下になり、煙だけが細く立ち昇っている。


 三河の国生まれの真澄には、「かんじき」も初めて目にしたものだったろうか。

 というわけで、そろそろ八木山の峠も終わる。急勾配の斜面も多い、険しい道である。



 ここが峠の峰。
 ちなみに、この道は冬期通行止めと聞いた。歩いた越えた真澄はたいしたものだ。


 江戸時代、由利郡(にかほ市・由利本荘市)は本荘藩だったので、真澄にしてみれば、これが本当の秋田入りということになる。



【刑罰の柱】

 なんとか山を下りると、路のかたわらに大雪に隠れないほどのたいそう高い柱があった。半ばから貫木を挿し通して、田畑のものを盗んだ者はこの柱に括りつける、と書きつけていた。これは里々の入り口にみなある。


 さすがに今となっては、こういった柱は見当たらない。



【たむろ澤村】

 一日中雪道を歩いて疲れ果て、たむろ澤という、家が三軒ある村に宿を求めた。瀧の糸を見るかのように垂れ氷(つらら)がかかっているのに、夕月の影がささやかに映る様を仰いで、眺めた。

見るかけの さむけくもあるか 夜とともに たるひに宿る 月はすさまし。



 こうして、真澄は鳥海町伏見から八木山峠を越えて、日が暮れる頃に羽後町に入った。真澄のいう「たむろ澤」とは今日の「田茂ノ沢」である。


 たむろ澤を真澄が訪れた際は三軒だったようだが、今の田茂ノ沢ではだいぶ軒数が増えたようだ。


 この日、真澄は雪国の雪山を越えた。
 これこそ、後に続く恐るべき踏破業のはじまり、と言えるのかもしれない。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



※この記事の写真は平成30年11月13日に撮影したものです



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翌日:天明4年10月11日/平成30年11月23日



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初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の描いた絵を辿り、秋田の県南を旅した紀行文


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