田舎は辛いよ……

 というわけで、ようやくようやく念願だった映画館でDolby Atmosを聴くことができた。
20141022-3
 場所はTOHOシネマズ日本橋のスクリーン8。
 見たのは「猿の惑星:新世紀」と「ガーディアン・オブ・ザ・ギャラクシー」の2本。どちらも同じスクリーンでのDolby Atmos上映。
 前日に家庭用アトモスでがっかりした後だったので、少なくとも音に対する期待度はそれほど高くなかった。

 ところが……

 ……

 …

 うおおなんだこれすげえ!


 猿は最高だった。
 家庭用で萎えていたアトモス愛が再び燃え上がるに相応しい凄まじい体験をした。
 というか、物凄く久々に映画館の音で感動を覚えた。地元の映画館がろくすっぽ音量を出せないくせして音割れしまくり&ビビりまくりという酷い有様なので、その格差がよけい感動を増幅したということもあろうが、素晴らしい経験だった。

 まず、上方向の音響情報。
 決して「雰囲気」程度で片付けられない、濃密極まる音を味わった。画面外にも間違いなく伸びている樹木、そこを行き交う猿の移動音、鳴き声、気配。
 目には見えずとも、間違いなく「いる!」という感覚。問答無用の圧倒的説得力。まさしく次元の違う臨場感。
 また、音空間の精度も凄まじいものがあった。
 映画館の音はとにかく迫力だけが売りで、音がでかすぎて空間の精度なんてまったく褒められたもんじゃない……そんな風に思っていた。しかし、どうやらDolby Atmosに関していえばその認識を改める必要があるようだ。
 繰り返すが、凄まじい精度である、よくできたホームシアターでさえなかなか聴けないレベルの精密さを、映画館という広い空間で実現してしまっている。映画館ならではの迫力とダイナミックレンジを保ったまま、音がまったくぶれない。にじまない。膨らまない。それでいて鋭利に動き回る。にわかには信じ難いレベルの音だった。

 家庭用と映画館とではなぜこうも違うのだろうか。
 やはりスピーカーの本数の差だろうか。
 オブジェクトベースのDolby Atmosは原理上、スピーカーの本数が増えれば増えるほど精度が増すはず。これが、どれだけスピーカーが多かろうとチャンネル単位で同一の音を鳴らすしかないチャンネルベースとの大きな違いである。すなわち、Dolby Atmosのおかげで、広い空間に大量のスピーカーを備える映画館がその真価を発揮したということだろう。ここにきて、家庭用のシステムと決定的な差が生じたように思う。
 今回のスクリーンでは、天井スピーカーは8~10ペア程度設置されていた。サラウンド、サラウンドバック用スピーカーの本数を加えれば全体で何十本という数になる。それらのスピーカーすべてが高度に独立した音を鳴らせるようになるとすれば、それはそれは凄まじいことになるということか。Dolby Atmosの真価、いやはや恐れ入った。

 Dolby Atmosはスピーカーの本数が多ければ多いほど真価を発揮するシステムなのかもしれない。
 となると、こんなもん誰が買うんだと思っていたが、俄然欲しくなってきてしまった。いや、買えないけど。

 Dolby Atmosのスピーカー構成は7.1.4が完成形だと思っていたが、ひょっとしたら9.1.6、あるいは12.1.8くらいないと駄目なのかも……?


 ちなみに「ガーディアン・オブ・ザ・ギャラクシー」も素晴らしい音だったが、猿に比べれば普通だった。
 Dolby Atmosの真価は映像との連携において発揮されるので、活きる作品とそうでない作品ははっきりと分かれそうだ。



【Dolby Atmos導入記】

・スピーカーの配置
・スピーカーの配置②――天井にスピーカーを設置できない場合
・スピーカーの選択
・AVアンプの選択
・世界初のアトモス収録ソフト「トランスフォーマー ロストエイジ」を“普通に”聴く
・嫌な予感
・家庭用アトモスを聴く