前日:天明5年2月6日/平成31年3月16日


天明5年2月7日(新暦換算:3月17日)

秋田県湯沢市 湯沢の町中




【彼岸の口よせ】

 七日、今日は、彼の岸に到る日だという。口よせといって、梓巫の住む家には、柳の枝に糸をかけて門にさしたものが印としてあり、人が尋ねてくる。集まった人々は亡き魂の様子を語るのを聞き、泣いている。


 「彼の岸に到る日」。実にかっこい彼岸の呼び方である。

 それはそうと、私の父方の曾祖母は「神降ろし」で、まさにここで書かれているような力を持っていた。もしかしてもしかしたら私の身にもそんな感じの血が流れ伝わっていて、それが時を越えた真澄とのシンクロの一助になっているかもしれない。


【地元探訪】八幡神社(湯沢市関口) その1
【地元探訪】八幡神社(湯沢市関口) その2



【薢を供ふ】

七日。“薢”を召し上がれと市中を呼び歩くのを呼びい入れて、この野老を仏壇に供え、私も食べた。

あめつちの 惠うるらし うちつとひ 廣き市路の ところせきまて。



 真澄の歌にもあるように、「薢」「野老」は「ところ」と読む山芋の一種。ひげ根を生じ、それを老人のひげに見立てたとか。
 この薢を取ってきた山人か何かが市で売り歩いていたものと見える。薢はそれほど食用に適したものではないそうだが、少なくとも仏壇に供えるくらいには、貴重な山の幸であったことには違いない。

 ちなみにこの日の日記には二回「七日」の表記がある。
 まぁこの手の表記の重複は私もよくやらかす。何もおかしくはない。



………………



●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



………………



翌日:天明5年2月8日/平成31年3月18日



【記事まとめ】『小野のふるさと』――菅江真澄32歳・秋田の旅
【記事まとめ】『齶田濃刈寢(あきたのかりね)』――菅江真澄31歳・秋田の旅
初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の描いた絵を辿り、秋田の県南を旅した紀行文


【地元探訪】記事まとめ

言の葉の穴は「神様セカンドライフ」を応援しています

【創作・地元ネタ】まとめ