秋田県湯沢市雄勝町の小野小町伝承
深草少将に百夜通いという条件を吹っ掛けた小野小町。
その真の理由については想像をめぐらすほかないが、今に伝わっている理由のひとつとして、「小町はその時疱瘡(皮膚病)を患っており、文字通り少将に合わす顔がなかった」というものがある。
そして少将の手によって芍薬が増えていく間、小町が疱瘡が治るようにと通ったのが「磯前神社」(いそざきじんじゃ)であり、その時に顔を洗ったと伝えられている清水が「小町泉」である。「いそまえ」ではなく、「いそざき」。
磯前神社全景。
村社だけあり、社殿はなかなかに立派。
境内の石碑群とお堂。
案内看板。
ちょうどその頃、小町は疱瘡を患っていたため磯前神社の傍にあった寺田山薬師如来の社(深草少将の持仏の薬師如来が祀ってあり薬師堂とも呼ばれていました。)を訪れ、清水で顔を洗い(当時この泉で顔を洗うと疱瘡が治るといわれていました。)一日も早く治るようにお祈りをしました。
この泉は小町泉あるいは小町姿見の池と呼ばれていました。
というわけで、厳密には小町は磯前神社のお隣の薬師堂に通ったということになる。
残念ながら、小町が顔を洗ったという泉は既になく、それがどこにあったのかさえ判然としない。
さて、そうこうしているうちに時は過ぎ、とうとう百日目の夜となった。
小町の疱瘡が治ったのか否かという話は聞かないが、まぁきっと快復していたに違いない。
しかし、いつしか百日目の夜が訪れるのを心待ちにするようになっていた小町のもとに、深草少将はついに現れることはなかった。
折からの大雨で増水した川に、橋ごと流されてしまったのである。
その報せを聴いた小町の胸中はどれほどのものだっただろうか。
小町は己の我儘が少々を殺したのだと嘆き悲しみ、少将の死は、小町のその後の人生に決定的な影響を与えることになった。
とっぴんぱらりのぷう。
【おまけ】
境内のお堂を拡大してみると……
コレは「蛇」だな。
そして……
……
!?
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