クラウドファンディングサービス「FAN AKITA」でプロジェクトを実施中です

※この記事はFAN AKITAプロジェクトページ「活動報告」への投稿と同内容です




菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第五章
「雄勝の背骨に麒麟舞う」



 秋田の山といえば真っ先に鳥海山が浮かぶのは、私が県南住まいだからでしょうか。鳥海山は小学校の校歌の歌詞にも登場していたくらいです。
 でもって、実は湯沢市にも鳥海山があるということを、私は大人になるまで知りませんでした。

 その名も「東鳥海山」。通称「権現山」。
 「雄勝尊」を祀るまさしく「雄勝」地域の背骨であり、真澄も重大な関心をもって記録を残し、さらに標高777メートルという、霊験あらたかな山です。
 第五章では、真澄も訪れた東鳥海山の諸相を巡ります。


 国道13号線を湯沢市から雄勝町に向かう道中、東鳥海山の山容を一望できる場所に一の鳥居があります。鳥居の額には「雄勝宮」とあります。




 登山道は三関フルーツラインからはじまり、果樹園の中を通っていきます。






 道中には二の鳥居があります。
 そして傍らには金精様を祀る祠も。




 真澄は登山道の途中で数枚の絵を残していますが、現在の東鳥海山は鬱蒼とした杉林に覆われ、真澄が見たであろう風景とはだいぶ変わってしまいました。
 真澄が描いたような登山道からの眺望も、残念ながら木々に遮られてほとんど楽しむことはできませんでした。




 そうこうしているうちに、東鳥海神社に到着しました。
 これは地域登山に参加する形で登った際の写真です。




 東鳥海神社の境内は草木の侵食を受け、真澄の描いたかつての様相とは様変わりしています。




 真澄の足跡を伝える標柱も折れるがままです。




 東鳥海神社を越えて山頂付近になると見晴らしもよくなり、山頂では真澄が「四方の眺望のところあり」と書いたように、湯沢から稲川の一帯を見晴らすことができました。
 なぜ東鳥海山が「雄勝尊」の座所となったのか、その理由がわかる気がします。




 なお東鳥海山の麓には立派な遥拝殿があり、こちらが実質的な東鳥海神社として機能しているようです。




 真澄は『雪の出羽路 雄勝郡』の中で、東鳥海山や雄勝郡の沿革について非常に多くの考察と記述を残しています。
 文献学的な論考をすることは必ずしもこの紀行文の主旨ではありませんが、私も可能な範囲で、あくまでも真澄の記述に沿いながら種々の考察を試みています。


 真澄と巡る、雄勝郡開闢の物語。


 是非、完成した本の中でお確かめください。