前回:天明5年1月20日/平成31年2月28日


天明5年1月25日(新暦換算:3月5日)

秋田県湯沢市 湯沢の驛 → 新金谷




【新金谷邑】

 二十五日。この五日ばかりは風邪の心地がして日記も書かなかった。この日、新金谷村というところに行き、高橋氏の家に泊って、湯沢の驛にある長谷寺に住まわれている万明禅師に出会った。


 風邪をひいて湯沢に滞在していた真澄は、回復後に「新金谷」に向かう。なぜ向かったのかは不明。新金谷???

 「新金谷」ではなく「金谷」の位置関係はこんな感じ。湯沢駅から湯沢城址一帯の中心部からはかなり離れており、例の草彅家のある柳田と隣接する。


 真澄が泊った新金谷の高橋家には万明禅師なる人も滞在していたようである。
 「湯沢の驛の長谷寺」ということで、湯沢の中心部にある寺だと思われるが、確かに今でも長谷寺はある。この長谷寺が真澄の言う長谷寺なのかはわからない。



 新金谷の高橋家や湯沢の驛の長谷寺については、いずれ補遺の形で調べたいと思う。


【追記】


 情報提供があり、真澄の記述に登場する「新金谷」は現在の「新田」、高橋家は最上義光の子孫を自称して自宅は松田砂利の別荘になっている、ということがわかった。

 新田は湯沢の中心部から見ると、柳田よりも先にある。いずれ写真でも撮りにいこう。




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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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翌日:天明5年1月26日/平成31年3月6日



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