前回:天明4年11月16日/平成30年12月27日


天明4年12月8日(新暦換算:1月18日)
※文中の記載から推定

秋田県湯沢市柳田(たぶん)




【久保田歴】

 久保田の里で刷った暦も、二十日あまり巻き残って、今年も暮れようとしている。ただ明け暮れ、雪の中に冬ごもりして、積もる日々を手を折って数えていた。


 当時から一般家庭に暦はあったのだな。
 ちなみに天明4年の大晦日は12月29日である。



【高窓から足】

 誰が言ったのか、「大雪や まとから見ゆる 人の足」。まことに、高窓、軒ひさしなどの上から、行き交う人の藁靴だけが見える。


 除雪車やら流雪溝やら何やらが整備される以前は、冬になると二階の窓から家に出入りしていた的な話は幾度となく聞いたことがある。初めて雪国の冬を過ごす真澄にしてみれば、さぞかし驚異の光景であったことだろう。



【かまくら】

 子どもたちがかまくら遊びをするといって、家より高い雪に大きな穴を掘り、その中に笹の灯火をして、あらぬさ(幣)を奉ったりして、夜が更けていった。


 こんにち「かまくら」というと湯沢市の隣の横手市の「かまくら祭り」ばかりが有名になった感があるが、菅江真澄が秋田で初めて書いたかまくらは湯沢市のものである。真澄の記述を見る限り、当時からかまくらは「子どもの遊び」と「祭祀」の二つの側面を持っていたようだ。

 『粉本稿』には当時のかまくらの絵が残されている。雪だけで作る現代的なものとは異なり、木で内部を補強している様子が絵から見て取れる。
(大館市立図書館・菅江真澄作品集より引用 http://lib-odate.jp/sugae.html )


 平成31年の湯沢市は3日ほど前から久々のまとまった雪に見舞われ、雪かきでくたびれ果てる日が続いている。



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●『齶田濃刈寢』本文・参考文献

『秋田叢書 別集 第4』 秋田叢書刊行会, 1932
『菅江真澄遊覧記1』 内田武志・宮本常一編訳, 東洋文庫, 1965

記事中の【見出し】は『秋田叢書』にあるものをそのまま使っている



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次回:天明4年12月28日/平成31年2月7日



【記事まとめ】『齶田濃刈寢(あきたのかりね)』――菅江真澄31歳・秋田の旅
初めて秋田の地を踏んだ菅江真澄と歩く、234年後のリアルタイム追想行脚

『菅江真澄と歩く 二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡』
江戸時代後期の紀行家・菅江真澄の描いた絵を辿り、秋田の県南を旅した紀行文


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