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※この記事はFAN AKITAプロジェクトページ「活動報告」への投稿と同内容です


小町ゆかりの地「真澄と歩く」出版プロジェクト – FAN AKITA


 江戸時代の紀行家・菅江真澄(すがえますみ)が残した文章と絵をもとに、秋田県雄勝郡を歩いた彼の足跡を辿り、その行程を綴った紀行文を本にするプロジェクトです。



菅江真澄と歩く
二百年後の勝地臨毫 出羽国雄勝郡

第八章
「光ことなる錦秋の宮」



 絵図集『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第五巻は、目次には小野・横堀・院内といった地名が並んでいるのですが、実際には二枚の絵しか収録されていません。
 一方で、明らかにその中から抜き取られたと思われる、院内銀山の風景を含む八枚の絵が『秋田八景画讃』の名で別に残っています。院内銀山は久保田藩の財政にとって非常に重要な存在であり、真澄は何かしらの政治的配慮から院内銀山の絵を『勝地臨毫』に収録しなかったのだと考えられます。政治的配慮がなされたと考える他の論拠としては、地誌『雪の出羽路 雄勝郡』の中にも院内・院内銀山の記述が一切存在しないということがあります。

 なお、残念ながら小野・横堀といった小野小町ゆかりの地の絵は、秋田八景画讃の中にも残されていません。


 ここでは『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第五巻に残された二枚の絵について紹介します。


 一枚目は雄勝町泉沢の「泉光院」。



 なにやら恐ろしい顔(仮面)が描かれています。
 そうです。ここに描かれ、『雪の出羽路 雄勝郡』でも言及されているのはド直球の怪異であり、真澄はまさにその実物を目の当たりにしました。

 この泉光院は神仏分離を経て既になく、今では「泉神社」となっています。



 そして神社の方に仮面について聞いてみましたが、「そんな話は聞いたことがない」とのこと。
 真澄が目にしたあの仮面は、「燃やしたはずなのに焼け残った」仮面は、歴史の闇の中に姿を消しました。


 ……


 気を取り直して、二枚目は秋ノ宮の風景です。



 これは視座100%完全一致の場所があります。
 そこからの眺めがこちら。



 役内川の流れや遠方に臨む神室山の姿は、真澄が訪れた二百年前から何も変わっていません。




 『勝地臨毫 出羽国雄勝郡』第五巻は雄勝町を広く扱っている巻なので、紀行文の内容もそれに準じています。かつての繁栄の面影すら完全に森に覆われつつある院内銀山や、どさくさに紛れて小野小町など、雄勝町を語るうえで欠かせない諸相を盛り込みました。

 院内の風景も、



 昏い口を開ける院内銀山の坑道跡も、



 小野小町と深草少将の墓と伝わる二ツ森も、



 菅江真澄と共に巡れば、きっと新たな発見があります。


 異邦人の視点で歩く秋田県雄勝町。


 是非、完成した本の中でお確かめください。