BDアバター&プライベート・ライアン

【BDレビュー】第160回『アバター』
【BDレビュー】第158回『プライベート・ライアン』


 BDとは何のためにあるのか。
 高画質・高音質を実現するためである。
 それでは、高画質・高音質とは、何のためにあるのか。
 これは「オーディオ・ビジュアルという趣味は何のためにあるのか」という問いと同義でもある。
 私の答えははじめから決まっている。
 愛してやまない作品の面白さを増幅させ、より深く感動するためである。
 なればこそ、BDで実現される高画質や高音質は、観る者の“喜び”に直結するものでなければならない。
 そしてそれゆえに、この企画では、マニアにばかり有難がられるようなタイトルではなく、体験した誰しもがその画質と音質に心揺さぶられるような、直球かつ普遍的なタイトルを選出したかった。

 どのタイトルを1位に選ぶか大いに悩んだが、結局甲乙付け難く、2本の選出とした。
 『アバター』は画質面での選出、『プライベート・ライアン』は音質面での選出である。

 『アバター』は、『スパイダーマン 3』が切り開いた“超高画質”の壮麗なる完成形を我々に提示した。初見の際には、「BDの画質もついにここまできたか」との思いを禁じ得なかった。
 AV的な観点から見た情報量・解像感・S/N・ダイナミックレンジといった画質の構成要素のすべてが極めて高品質なだけでなく、もはやそんなことを気にする必要がないほどに、『アバター』の映像は美しかった。惑星パンドラの滴るような緑と青の輝きは視覚へのこのうえない御馳走であり、それだけで見る者を感動させずにはいられなかった。
 “超高画質”のBDは数多く存在するが、『アバター』はその頂点にあると言っていい。それ自体として夢幻の如く美しい映像が、完璧なBDとして結実している。
 『アバター』をBDで見れば、誰しもが“高画質で見ること”の喜びを感じられると思う。美しい映像を高画質で見ることは、それ自体大きな感動を呼び起こす。『アバター』にはその力がある。BDを見れば、絶対にBDが欲しくなる。それだけの力がある。

 『アバター』にはもうひとつ、忘れてはいけない“3D”という要素がある。
 が、3Dは本作のBDのAV史的な意味を語るうえではほとんど意味を為さない。公開時、あれだけ“3D映画の真打”ともてはやされたにも関わらず、肝心の3D版BDが一向に登場しなかったからだ。当時のパナソニック製プラズマテレビを買うと特典として3D版アバターのBDがもらえたらしいが、そういうセコイことをして旬を逃した時点で、3Dの家庭への普及にはほとんど貢献しなかったと言っていいだろう。
 もっとも、私個人としては3Dというものに極めて懐疑的なので、仮に『アバター』のBDが当初から3D版も発売していたとしても、今回の選出には一切影響を与えなかっただろうが。


 『プライベート・ライアン』の真価は、冒頭のオマハ・ビーチ上陸戦でいかんなく発揮されている。
 本作はDVDの時点で、音質はさておき、“音響”構築の完成度という点において、ありとあらゆる映画の頂点に立つにふさわしいポテンシャルを示していた。それがBDという器とDTS-HD Master Audioの24bitという仕様を得て、『AKIRA』同様“本来有していたクオリティ”のすべてを注ぎ込んだことで、『プライベート・ライアン』は究極の音を実現した。撮影機材が凄まじい勢いで進化していく映像とは異なり、音響はどこまでいっても職人芸とこだわりの領域である。未来永劫、『プライベート・ライアン』の音が陳腐化することはあるまい。
 視聴する際、ある種の緊張感すら覚えるBDタイトルは『プライベート・ライアン』と『ランボー 最後の戦場』の二つしかない。あまりにも真に迫りすぎて、恐怖さえ感じるくらいだ。
 オーディオ・ビジュアルという趣味を始めて、いわゆるホームシアターという環境で映像作品を見るようになって、そこでひたすら“音”というものに意識を傾けていった結果、私はある考えに辿り着いた。
 それは、“音こそが映像を真実にする”ということだ。
 見る者の想像力でいかようにも補完できるサイレント映画ならばまだしも、今日の映像作品はまず間違いなく音声が収録されている。そして“音のクオリティ”は、そのまま“映像作品のクオリティ”へ直結する、というのが私の持論である。
 音が良ければ良くなるほど、映像は加速度的に面白さを増す。アクション映画はさらに血を滾らせ、サスペンス映画はさらに血を凍らせ、ミュージカルはさらに心をときめかす。
 そんな“良い音”の価値を、究極的なクオリティで示しているのがまさに『プライベート・ライアン』のBDなのである。


 なぜ画質にこだわるのか。
 なぜ音質にこだわるのか。
 なぜBDでなければならないのか。
 優れた画質や音質は、それ自体で誰かを感動させる力を持っている。それにより、自分の愛してやまない作品が、さらに面白く変貌する。
 別にどのような環境で見ようが、見るために要する時間は変わらない。しかし、その同じ時間から得られる感動には、きっと大きな差があるはずである。
 だからこそ、こだわるのである。有限な時間の価値を最大化し、より深い感動を得るために。そのためにこそ、BDはある。
 BDにどれだけの価値があるか体験したいという人、あるいは本当にこだわるだけの価値があるのかわからないという人は、とりあえず『アバター』と『プライベート・ライアン』のBDを見てみることをお勧めする。もちろん最優先すべきは各人の愛するタイトルではあるが、まずBDの価値を見極めようと思うのなら、私は真っ先にこの二つのタイトルを提示する。BDが実現する高画質・高音質とはこれ程のレベルなのだと、目の当たりにしてほしい。できれば、きちんと構築されたホームシアターという環境で。

 『アバター』と『プライベート・ライアン』は、BDが実現する高画質と高音質がいったいどれだけ作品の面白さを増幅し、感動を深めるかを究極の形で示すタイトルである。
 願わくば、愛する作品からより多くのものを得たいと望むすべての人々に対し、BDの価値を伝える福音とならんことを。


 BDの次なるパッケージメディアがどうなるのかはまだわからない。
 ただひとつ確かなのは、そこにさらなる高画質と高音質の可能性、すなわち映像鑑賞の楽しみを増幅させる可能性があるのなら、私はどこまでも追い続けるということだ。
 4K、6k、8k……撮影・映像制作機材の進歩による高画質化はもちろん、音質にだって、例えばDolby Atmosが実現する“真の”三次元音響といった進歩の余地は存在する。
 今までBDの画質音質をシビアに評価してきたらこそ、虚飾にとらわれることなく、新たなメディアが実現するクオリティもしっかりと受け止められるだろう。まったくもって楽しみでならない。
 BDがあったからこそ、私も先に進める。



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