いわゆるオーディオの考え方を映像にも取り入れると、「オーディオビジュアル」という趣味の領域が出来上がる。
そこで私が気付いたのが、「映像作品の面白さにとって、“音”が果たす役割はとてつもなく大きい」ということだ。言い換えれば、「“音”を意識することによって、映像の面白さは倍増する!」ということに他ならない。
失うものは何もない。物語を楽しみ、目で見て楽しんできた今まで通りの映像鑑賞に、今度は“音を聴く”という意識が加わるだけだ。純然たる楽しみの上乗せである。私のような映像大好き人間にとって、これほどの福音はない。
「ただでさえ愛してやまない作品が、音を意識することでもっと面白くなる」という福音だ。
ここで重要になるのが、音響である。あくまで音響であって、音質ではない。
音質と音響に関して、私は以下のように解釈している。ちなみに、ここでいう音響とは“映像内の音”のことを指す。また、音響学とかその辺のことはさっぱり知らないので、あくまで私自身の解釈だということに注意してほしい。
音質とは、高音が伸びているとか、低音がよく出るとか、音に瞬発力があるとか、音がきちんとほぐれているとか、そういう“再生する時点”の問題だ。で、この音質というのは、再生機器の質を上げていけば元が悪くても意外となんとかなってしまう。BDのロスレス音声が登場する前、DVDのロッシー音声時代でもじゅうぶん楽しめたのだから。
一方、音響とは、制作者が“その映像の音をどのように作ったのか”、すなわち“再生する以前”の問題である。例えば“一発の銃声”でも、ただバンと鳴らして終わるのか、それとも引き金を引く音・撃鉄の音・発射音・弾丸が空を切る音・着弾音・余韻・残響までマルチチャンネルを駆使して構築するのか、そういうことである。再生機器の質によって再生できるレベルに差はあるとはいえ、根本的に我々視聴者がいじることのできない部分である。DVDからBDに移行し、容量やスペックの関係から音質は上昇しても、音響そのものが善くなるなどということはない。ただし、音響を制作する時点できちんと伸びた高音・迫力のある低音・瞬発力etc…を“収録”する必要はあるので、音響と音質は決して分離するものではないということは注意しなければならない。そしてそのためにこそ、いわゆる音響スタジオは極めて優れた再生システムを構築している。
音質と音響の線引きは非常に難しいし、私もきちんと説明できたのか自信はないが、なんとなく理解してもらえるだろうか。
音響、音とは映像を嘘から真にする力を持っている。
視覚的には天変地異が巻き起こっているような映像でも、音響がしょぼければ途端に現実感を失う。
本当に善く出来た音響とは、もはや音だけで(目を瞑っても)作品中で何が起こっているのかを実感できるし、視覚情報と結びつき、互いに補完し合い高め合うことで、無尽蔵の感動を生み出すことができる。大げさなことを言うようだが、瞬きも、時には呼吸さえも忘れて映像に没入する瞬間というのは間違いなく存在する。そして、その至福の瞬間を味わうためには、作品それ自体が優れた音響を備え、さらにそれを十全に現出し得る再生システムが必要になるのである。
これは「映画館で見る映画はなぜ楽しいのか?」という疑問に対する答えでもある。
すべてはより深い感動のために。
さて、前置きが長くなってしまったが、また新しくオーディオネタで何か書き始めようとするにあたり、以前と同じような視聴記を続けたのではちょっと面白くないな、との思いがあった。そして、いまさら画質音質を気にしなければならないようなシステムではないし、むしろ以前の音質の評価も七割くらい音響に軸足を置いた評価だったので、いっそ完全に音響にフォーカスした記事を書こう、と思ったわけだ。
【音響の火花】では、映画・アニメ・ゲームといったあらゆる“映像作品”の「音響」に焦点を当てていく。
これから、記事ひとつにつき、ひとつの作品のひとつのシーンを取り上げる。私が自信を持って、「このシーンは音響的にすげえぞ!」と太鼓判を押すシーンである。
作品内容やら脚本やらテーマ性やら、その手の小難しい話題はとりあえず脇に置いて、とにかく「優れた音響によって映像の楽しみはどれだけ増えるのか」ということを感じられる記事にしていきたい。
これからの記事を通じて、「音にこだわるのって楽しそうだな、ひょっとしたら自分の好きな作品ももっと楽しめるかな」と思ってもらえたのなら本望である。そしてそれこそが、私のオーディオ観の発露である。
繰り返しになるが、すべてはより深い感動のために。
次回予告:『鴉-KARAS-』第一話・オープニング
【音響の火花】・序・そもそも“音響”って?
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