【レビュー】SOULNOTE A-2 導入・外観・運用編

愛によってなされたことは、つねに善悪の彼岸にある。

  ニーチェ 『善悪の彼岸』



・再生環境詳細

fidata HFAS1-XS20

SFORZATO DSP-Dorado

SOULNOTE A-2

Dynaudio Sapphire



・聴いた曲(の一部)





・音質所感

 A-2の到着は2017年12月27日。
 冷え切った筐体が温まり、ファンヒーターの電源ケーブルを引っこ抜いたうえで聴く。

 この段階の設置は、足は標準で、下の写真のNmode X-PM7と入れ替えた状態。
 (写真が古いので写っている機材は今と違うが、配置は同じ)


 なお、私の環境での音量は通常で16、音圧があまりにも高い曲なら15、ダイナミックレンジ極大のクラシック等を聴く時は22である。参考までに。



 最初に聴いた曲は、たしか、「Jimi hendrix / Electric Ladyland / All Along The Watchtower」か「John Mayer / Continuum / Bold as Love」のどちらかだったと思うが、定かではない。それでも、その時の印象だけは鮮明に覚えている。

 音が生きている
 音楽が生きている

 この瞬間、近くを歩くだけで盛大に音を立てるトップカバーとか、ファンヒーターに反応する敏感な電源トランスとか、天井に悪魔的な光景を描く内部からの光漏れとか、その手の運用上の難点はことごとく善悪の彼岸に押しやられた。

 もはや「エネルギー感に横溢している」なんて表現で済ませることはできない。Dynaudio Sapphireが未だかつて聴いたことのない生き生きとした音で鳴っている。
 究極的に高解像度な音、上にも下にもレンジの広い音、壮大なスケール感のある音、澄んだ湖を脳裏に描く透徹した音、夢幻的な空間表現で魅せる音、強靭な骨格とエネルギー感が合体した音。今までいろいろと凄い音を聴いてきた。しかし、ここまで生きた音を聴いた経験はちょっと思い当たらない。

 身震いするほどの躍動感。
 目を見張る中高域の俊敏な立ち上がり。
 
 最初の曲の印象があまりにも強かったので、しばらくはギターが印象的な曲を聴きまくった。エレクトリックでもアコースティックでも、「Rodrigo y Gabriela / Tamacun」や「toe / songs, ideas we forgot / Leave word」「Julian Lage / Arclight / Nocturne」といったインストゥルメンタルは言うに及ばず、「John Mayer / Where the Light Is / Free Fallin’」のようなライブアルバムであっても、見違えるように鮮烈な音が味わえる。
 かつてプレーヤーをLINN MAJIK DS-IからLUMIN A1に替えた時、「Deep Purple / Machine Head / Highway Star」の音の変化を「高速道路になった」と言ったものだが、同じことが再び起こった。超高速道路的なアレ。
 ギターやドラムだけでなく吹奏楽器も見違えるほど生気を増し、「Bruce Springsteen / Born to Run」「Roy Hargrove / Earfood / Strasbourg-St. Denis」「松下洋、ニキータ・ズィミン / スーパー・サクソフォン・デュオ」など、吹奏楽器が活躍する曲が別物に化け、生き生きと歌い出す。

 低域は豊かな量感を出しつつ、個々の低音は明瞭そのもの。「D’Angelo / Brown Sugar」「Yes / Relayer / Sound Chaser」のベースやバスドラムがそりゃもう深々と沈み、さらにうねる弾ける。間違いなく我が家のSapphireで聴いた過去最高の低音であり、駆動力の余裕が見て取れる。
 ボーカルはとにかく溌剌としている。「まったり」「どっぷり」「たっぷり」といった質感を加えることはなく、ひたすらに若々しい。コーラスもいともたやすく解きほぐす。「甘さ」を求める鳴り方ではない。

 分解能、情報量、ダイナミックレンジといった諸性能も申し分ない。

 これだけ中域が張り出し、低域が豊かに鳴っても、音の分離はX-PM7以上に高く保たれている。
 音数が多い曲ほど高分解能の恩恵は大きい。たとえ轟々と鳴り響く音の渦の中にあっても、低音は階調と輪郭を維持し、高音は埋もれることなくクリアに繊細に輝く。
 ディテールの描写力も卓越しており、今まで意識されなかった音、見えてこなかった音楽の表情が一気に現れ、情報量は激増した。

 音の輪郭は全音域で引き締まっている。滲みがなく、余計な響きも皆無であるため、中低域の充実がありながら全体的な印象はすっきりとしている。厚ぼったさはない。「fox capture plan / BUTTERFLY / Supersonic」は増大したエネルギー感に飲み込まれてしっちゃかめっちゃかになりはしないかと思ったが、ピアノはシャープに重厚にうねるベースラインから浮かび上がり、眩く駆け抜けていった。

 輪郭描写は鋭利と言ってしまってよいレベルだが、粗さはなく、なめらかである。画像で例えれば、ジャギーによる硬質さではなく、アンチエイリアスによるなめらかさでもなく、「純然たる高解像度による鋭利さとなめらかさの両立」が達成されている。

 ダイナミックレンジおばけである大植英次・ミネソタ管弦楽団による「レスピーギ:ローマの松」と「ストラヴィンスキー:火の鳥」を大音量で再生しても、パワーにはまだまだ余裕が感じられる。むしろ余裕綽々すぎて、「必死で力いっぱい」鳴らしてそれがある種のテンションの高さに結び付いていたX-PM7に比べて素っ気ないとさえ感じてしまった。ついでに火の鳥のクライマックスではトップカバーが鳴った。


 一方で、音に「浮遊感」はない。
 低域が物凄く充実しており、いい意味で「地に足が付いている」感がある。それでいてスピーカーからの音離れは相当なため、醸成されるのは「宙を舞う」ではなく、「大地を疾走する」感覚。
 飛ぶ代わりに走る。疾る。奔る。この辺りが、低音以外では今まで使っていたNmodeのアンプとの最大の違いだろうか。
 

 
 A-2は音が生きているのにくわえて、実に闇が深い(変な意味ではない)。

 A-2は静かなアンプである。
 残留ノイズは至近距離まで耳を近付けてようやく聴き取れるレベル。
 そのおかげもあるのだろうか、A-2の無音時の闇は透明感に満ち、視聴位置においては残留ノイズがまったく聞こえなかったX-PM7と比べても遥かに黒々としている。「Helge Lien Trio / Natsukashii」や蟲師のサントラより「霞を吸う群」など、静寂それ自体が快感になる曲の悦楽たるや!

 それにしても、私のアンプ遍歴はほとんどがデジタルアンプだった。
 今となっては「ちっとも低音が出なかった」という印象しか残っていないAcoustic Reality ear202-Ref、ユーザビリティだけでなく音質的にも当時のシステムを吹き飛ばす威力を持っていたLINN MAJIK DS-I、Dynaudioが鳴るとはこういうことかと体感させてくれたNmode X-PW10とX-PM7。
 いずれも当時の私なりに考えて導入したアンプだったことは間違いないし、音質的にも満足していたが、いつしか静寂だけは縁遠いものになってしまっていたのかもしれない。

 私が初めて買ったアンプ、Marantz PM6100SA ver.2は透明だった。
 ようやく、懐かしい闇がA-2で訪れた。

 深い闇の中で、生きた音が煌めく。
 闇が深いからこそ、音楽が命を得る。

「お前は危険な闇だ 生命は光だ!!」
「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!!」

  宮崎駿 『風の谷のナウシカ』


 見事な静寂と闇を聴かせてくれた同社のD-1とA-2を組み合わせれば、きっと物凄いことになる。純正組み合わせにあえて私が言うことでもないだろうが、両方を聴いた者として、A-2とD-1の完璧な相性は想像に難くない。



 そんなこんなで、年末年始はずーっとA-2を鳴らし込んでいた。

 年が明けて1月7日、友人の協力を得て、A-2をスパイクに換装するとともに、トップカバーの鳴りと光漏れ対策をかねてラックレイアウトの大幅な更新を行った。

 ラックを買って半年もたたないうちに再びGTラックを引っ張り出すことになるとは……


 新調したラックの存在意義はさておき、GTラックの大質量のおかげでトップカバーの鳴り(を引き起こす諸々の振動)は抑制されるだろうし、光漏れも気にならなくなる。
 一石二鳥!


 ……と思ったのだが、これがまぁ見事なまでに音が死んだ

 もう即死

 高域は輝きを失い、中域は萎み、あれだけ心を震わせた躍動する低域は行方不明になった。
 一応一晩待ってみたが、音が蘇ることもなく、結局翌朝になってスパイク以外のすべてを元に戻す羽目になってしまった。

 A-2自体が構造的にストレスを排除する方向を突き詰めている以上、使うラックにも高度な開放感が求められるということなのかもしれない。もしそうだとすれば、GTラックとの相性が最悪なのも頷ける。あるいはGTラックの「中」ではなく「上」に置いたらまた違った結果になったかもしれない。A-2以外の機器も配置換えによる音の変化はあっただろうが、やはり主としてA-2による変化だと思われる。相性。うーむ。



 元のレイアウトに戻して、A-2が息を吹き返したのでとりあえずは安心した。
 しかし、アルミ系素材のインシュレーターではあまりにも音が締まりすぎるようで、当初聴いていた中低域の充実からすると物足りなく感じてしまった。
 そこで、スパイク受けを手持ちのリン青銅のものに替えると、中低域の締まりと量感がちょうどいい塩梅となった。
 この段階で、音のバランスは付属の足で感じていたピラミッド型から砲弾型になった。砲弾型と言ってイメージは通じるだろうか。

 それから約一週間、スパイクとスパイク受けが馴染んできたのか、中低域は締まりを保ちながらより量感的にも充実してきたようだ。


 まったくもって、歩けば鳴るし、打てば響くアンプである。

 そりゃ、私とてオーディオマニアの端くれ、スピーカー以外の機器でも設置で音が変わり得るということは承知しているし、その経験もある。
 が、スピーカー並に(あるいはそれ以上か?)設置で音が変わる(時として即死する)アンプなんてのは初めてである。

 敏感すぎると言うべきか、恐るべき反応の良さと言うべきか。
 前編で「いい意味で試作機めいた」と書いた理由はこの辺にもある。
 NT-1かな?


 とにかく、愛のないセッティングでA-2の実力を発揮させるのは難しいだろう。



・まとめ

 SOULNOTE A-2というアンプは善悪の彼岸にある。
 設計者の加藤氏はもちろん、製品企画を行った人、製品の方向性にゴーサインを出した人をはじめ、SOULNOTEに携わる人々の「音楽への愛」で満ちているからだ。少なくとも私にはそう感じられてならない。
 音楽への愛がなければ、「絶対に音を殺さない」という覚悟がなければ、普通に考えれば設計段階で対処されてもよさそうな部分を抱えたまま市場に投入などするものか。

 こうして、A-2は「音楽を生き生きと鳴らす」傑出した性能と同時に、過激なほどの反応性の良さを備えたアンプとなった。
 「Dynaudio Sapphireが気持ちよく鳴る」。満足だ。



 闇の中で目を瞑り、視覚と触覚と嗅覚と味覚を可能な限り鎮静化させてただ聴覚のみを研ぎ澄ませ、音楽を聴く。
 すると、私の中に音楽がすっと入ってくる。
 そして、音楽だけが在り、私自身は静寂に到る。

 静寂。
 他に代え難い体験。愉悦。至福。救済。

 もちろん、ここでいう静寂とは物理的な無音を意味するものではない。昂奮や歓喜は間違いなく存在しているし、聴く音楽のジャンルを制限するようなものでもない。
 音楽から得られる感“動”の極致が“静”寂というのはなんとも矛盾を孕んだ話で恐縮だが、それでも私は、究極的にはこの静寂が欲しくてオーディオ趣味をやっている。あるレベルを越えた「音の質」があって初めて、静寂に辿り着けるからだ。時として反目し合う「音楽」と「オーディオ」は、静寂の中で真の融和を迎える。

 オーディオとは業の深い趣味である。
 なぜこんなにも金をかけて、こんなにも重くてでかい機器で部屋を埋め尽くし、あれやこれやと終わりのない環境整備に邁進しなければならないのか。ふと立ち止まって己の所業を睥睨する時、「いったい何やってんだ……」という冷ややかな感情から逃れられた試しはない。

 しかし、そんな冷めた感情も、ひとたび音楽を聴けばすぐに氷解する。
 騒々しい日々の中で、好きな音楽を通じて、たとえ一瞬でも上記の「静寂」が得られるのなら、機材や環境構築への有象無象の投資は決して無意味ではないと確信できる。
 音楽を愛するあまりオーディオなんて趣味をやっている時点で、私もまた、既に善悪の彼岸にいるのだ。

 使いづらい、いや、使いこなし甲斐のあるアンプ、どんとこい。使いこなしてやる。
 どのみちネットワークオーディオの実践のおかげで音楽再生の快適度はプラスに振り切れているわけだし、システムトータルで考えればどうということはない。覚悟があるのはお互い様だ。



 SOULNOTE A-2は、運用上の難点で私にオーディオを趣味とする覚悟をあらためて問い、同時に、かつてなく生きた音で私にオーディオを趣味とする歓びをあらためてもたらしてくれた、そんなアンプである。


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